カテゴリー別アーカイブ: ドグラ・マグラ

Dogra Magra (76) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(76)

私は開いた口が閉さがらなかった。正木、若林の両博士が、何のためにコンナ奇妙なイタズラをするのかと思い迷った。悪戯にしても余りに奇妙な、不合理な事ばかり……一体今朝から見た色んな出来事や、様々の書類の内容は、みんな真剣な事実なのか知らん。それとも二人の博士が馴れ合いで、私を戯弄ために仕組んだ、芝居に過ぎないのじゃないかしらん……と……そんな風に考えまわして来るうちに、今の今まで私の頭の中に一パイになっていた感激や、驚きや、好奇心なぞの山積が、同時にユラユラグラグラと崩れ初めて、自分の身体と一緒にスウーとどこかへ消え失せて行くように感じたのであった。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (75) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(75)

私のツイ鼻の先に奇妙な人間が居る……最前から、若林博士が腰かけているものとばかり思い込んでいた、大卓子の向うの肘掛廻転椅子の上に、若林博士の姿は影も形もなく消え失せてしまって、その代りに、白い診察服を着た、小さな骸骨じみた男が、私と向い合いになって、チョコナンと座っている。
 それは頭をクルクル坊主に刈った……眉毛をツルツルに剃り落した……全体に赤黒く日に焦けた五十恰好の紳士であるが、本当はモット若いようにも思える……高い鼻の上に大きな縁無しの鼻眼鏡をかけて……大きなへの字型の唇に、火を点つけたばかりの葉巻をギュッと啣くわえ込んで、両腕を高々と胸の上に組んで反そりかえっている……骸骨ソックリの小男……それが私と視線を合わせると、悠々と葉巻を右手に取りながら、真白な歯を一パイに剥むき出してクワッと笑った。
私は飛び上った。
「ワッ……正木先生……」

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (74) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(74)

「どうだ……読んでしまったか」
という声が、不意に私の耳元で起った……と思ううちに室の中を……ア――ン……と反響して消え失せた。
その瞬間に私は、若林博士の声かと思ったが、すぐに丸で違った口調で、快濶な、若々しい余韻を持っている事に気が付いたので、ビックリして背後を振り向いた。けれども室の中は隅々までガランとして、鼠一匹見えなかった。
……不思議だ……。

(引用は青空文庫より)

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やっと、正木博士の長い書類が終わり、元の部屋に帰ってきた!

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Petit research for Japanese novel “Dogura Magura” (4) (about the room)

夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』の絵を描くためのプチリサーチ(4)

大正15年10月のある朝、「わたし」は若林博士に連れられて九州帝国大学精神病科本館2階にある正木博士の居間兼標本室を訪れる。この部屋で「わたし」は若林博士の説明を聴き、正木博士の残した厖大な書類を読み、正木博士と対面する。『ドグラ・マグラ』は、ほとんどこの部屋の中だけで進むようなものなので、一度小説の部屋の描写を整理したいと思い、上から見た図を描きました(昔読んだ妹尾河童の『河童が覗いたヨーロッパ』を思い出しながら。全然あんなに精密じゃないけど)。

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Dogra Magra (73) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(73)

「青黛山如月寺縁起」のマンガみたいにコマ割りにしてるページは、「チャンバラ」の場面があっけなく終わってしまっていたので、1ページ追加した。表紙抜かして全部で5ページだったのが6ページになった。「6」の方が「六道」にもつながって良いね。

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Dogra Magra (72) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(72)

……ああ愉快だ。こうやって自殺の前夜に、宇宙万有をオヒャラかした気持ちで遺言書を書いて行く。書きくたびれるとスリッパのまま、廻転椅子の上に座り込んで、膝を抱えながらプカリプカリと、ウルトラマリンや、ガムボージ色の煙を吐き出す。……そうするとその煙が、朝雲、夕雲の棚引たなびくように、ユラリユラリと高く高く天井を眼がけて渦巻き昇って、やがて一定の高さまで来ると、水面に浮く油のようにユルリユルリと散り拡がって、霊あるものの如く結ぼれつ解けつ、悲しそうに、又は嬉しそうに、とりどり様々の非幾何学的な曲線を描きあらわしつつ薄れ薄れて消えて行く。それを大きな廻転椅子の中からボンヤリと見上げている、小さな骸骨みたような吾輩の姿は、さながらにアラビアンナイトに出て来る魔法使いをそのままだろう…………ああ睡い。ウイスキーが利いたそうな。ムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャムニャ……窓の外は星だらけだ。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (71) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(71)

【字幕】 再び同年十月十九日(前の場面から約一箇月後)の解放治療場内の光景。

(中略)

 その前に突立っている呉一郎も、最初の場面の通りに微笑を含んで、両手をうしろに廻したまま、老人の打ち振る鍬の上げ下しを一心に見守っているが、僅か一箇月ほど経過した間にスッカリ色が白くなって、肉が丸々と付いているのは、その間じゅう穴掘りの労働を中止して、自分の室……第七号室に閉じ籠っていたからであろう。
 その背後から正木博士がニコニコしながら近付いて来て、やおら肩の上に手を置くと、呉一郎はハッとしたように振り返った。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (70) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(70)

【字幕】 それから約二個月後の解放治療場に於ける呉一郎(同年九月十日撮影)
【映画】 解放治療場中央の桐の葉にチョイチョイ枯れた処が見える。その周囲の場内の平地の処々に真黒く、墓穴のように砂を掘り返したところが、重なり合って散在している。
(中略)
 舞踏狂の女学生が、呉一郎の背後に在る大きな穴の一つに落ち込んで、両足を空中に振りまわしながら悲鳴をあげた。ほかの患者たちが手を拍って喝采した。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (69) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(69)

【字幕】 解放治療場に呉一郎が現われた最初の日(大正十五年七月七日撮影)
【映画】 解放治療場のまん中に立った五六本の桐の木の真青な葉が、真夏の光りにヒラヒラと輝いている。
 その東側の入口から八名の狂人が行列を立てて順々に這入って来る。中には不思議そうに、そこいらを見まわしている者もあるが、やがてめいめいに取りどり様々の狂態を初める。
 その一番最後に呉一郎が這入って来る。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (68) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(68)

【字幕】 呉一郎の精神鑑定=大正十五年五月三日午前九時、福岡地方裁判所応接室に於ける。

(中略)

しかしその中で若林博士だけは眉一つ動かさずに、青白い瞳を冷やかに伏せて、正木博士の横顔を凝視していた。正木博士の表情の中から、人知れず何ものかを探し求めるかのように……。
けれども呉一郎は平気であった。正気を失った人間特有の澄み切った眼付きで、何の苦労もなげに正木博士の顔から視線を外そらすと、すぐ横に突立っている若林博士の長大なフロック姿を下から上の方へソロソロと見上げて行った。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (67) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(67)

ハッハッハッハッ……。
……どうです諸君。面喰いましたかね。
これが吾輩の遺言書の中の最重要なる一部分なぞいうことは、もういい加減忘れて読んでいたでしょう。悲劇あり。喜劇あり。チャンバラあり。デカモノあり。これに加うるに有難屋の宣伝もありという塩梅で、ずいぶん共にオカカの感心、オビビのビックリに価する、奇妙奇天烈な記録の内容でげしょう。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (65) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(65)

――ところが軈て十四か五になられた頃であったかと思います。学校の帰りと見えまして、海老茶の袴を穿かれた千世子殿が、風呂敷包みを抱えたままこの方丈に這入って来られまして、唯一人で茶を飲んでおりました私に向って……和尚様……あの御本尊の真黒い仏様の中には美しい絵巻物が這入っておるとの事じゃげなが、ソッと私に見せて下さらぬか……という御話で御座います。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (63) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(63)

青黛山如月寺縁起(完)

〜あらすじ〜

さらに旅を続けると、ほどなく筑前は姪の浜に理想の土地を見つけ、田畑を求め屋敷を建てる。

寺を建立し青黛山如月寺と名付け、旅で背負ってきた弥勒菩薩の像を本尊として祀り、京都から一行という僧侶を招き住職になってもらう。

呉坪太郎となった虹汀と六美女は和歌を詠み、六美女が紙に書き写した三万枚の「南無阿弥陀仏」は人々に配られる。

延宝七年(1679年)、この因果応報と仏道の物語を一行が書き記す。

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Dogra Magra (62) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(62)

青黛山如月寺縁起(4)

〜あらすじ〜

虹汀、六美女、馬子の若者は、荷物を運ぶ四頭の馬と共にに東を目指して旅立つ。

しばらくして後方から、雲井喜三郎が引き連れる数十人の捕吏たちが押し寄せるが、虹汀は竹の杖で次々に相手を気絶させる。

仏道に入り心を改めるよう諭すが、喜三郎は刀を手に襲いかかってくる。

眉間に杖で一撃された喜三郎は、雪を赤く染めて息絶える。

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Dogra Magra (61) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(61)

青黛山如月寺縁起(3)

〜あらすじ〜

秋の収穫も終わった頃、唐津藩の家老の三男である雲井喜三郎が六美女の家に押しかけ、酒乱状態になる。

逃げてきた六美女が海辺で虹汀に出会う。

追いかけてきた雲井喜三郎が虹汀に一喝され、崖から足をすべらせ海に落ちる。

六美女と虹汀が家に戻ると乳母が殺されていた。

虹汀は因縁の巻物を燃やし、呉家に婿入りすることを決める。

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Dogra Magra (59) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(59)

青黛山如月寺縁起(1)

〜あらすじ〜

時は慶安、京都の茶舗の息子である坪太郎が長じて出家し、西へ旅すること一年。

名を虹汀と改め、ある月夜に虹の松原を歩いていると、海に身を投げようとする娘、六美女に出会う。

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Dogra Magra (55) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(55)

―ヘイ。その時に見ました窓の中の光景は、一生涯忘れようとして忘れられません。そのもようを申しますと、土蔵の二階の片隅に積んでありました空叺で、板張りの真中に四角い寝床のようなものが作ってありまして、その上にオモヨさんの派手な寝巻きや、赤いゆもじが一パイに拡げて引っかぶせてあります。その上に、水の滴るような高島田に結うたオモヨさんの死骸が、丸裸体にして仰向けに寝かしてありまして、その前に、母屋の座敷に据えてありました古い経机が置いてあります。その左側には、お持仏様の真鍮の燭台が立って百匁蝋燭が一本ともれておりまして、右手には学校道具の絵の具や、筆みたようなものが並んでいるように思いましたが、細かい事はよく記憶えませぬ。そうしてそのまん中の若旦那様の前には、昨日石切場で見ました巻物が行儀よく長々と拡げてありました……ヘイ……それは間違い御座いませぬ。たしかに昨日見ました巻物で、端の金襴の模様や心棒(軸)の色に見覚えが御座います。何も書いてない、真白い紙ばかりで御座いましたようで……ヘイ……若旦那様はその巻物の前に向うむきに真直に座って、白絣の寝巻をキチンと着ておられたようで御座いますが、私が覗きますと、どうして気どられたものか静かにこちらをふり向いてニッコリと笑いながら「見てはいかん」という風に手を左右に振られました。

(引用は青空文庫より)

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Petit research for Japanese novel “Dogura Magura” (3) (about medical devices in 1920s)

夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』の絵を描くためのプチリサーチ(3)

若林博士が真夜中の屍体解剖室で、奇怪な死体偽造工作をする場面があります。私にはあまり馴染みのない医療用具がいくつか登場するので、実物を見てみたいと検索して見つけたのが、医療機器を専門に展示している『印西市立印旛医科器械歴史資料館』です。江戸後期から昭和まで、1000点を超える収蔵品で世界有数の規模を誇り、全国から人が来るそうです。

私が訪れた時はほとんど来館者がいなかったので、古い医療器具が所狭しと置かれている静かな館内(元々消防署だった建物で、微妙にレトロで年季が入っている)をじっくりと見て回れました。

今回確認したいのは「大理石の解剖台」「シンメルブッシュ」「喇叭型聴診器」の3点です。小説の舞台は大正15年(1926)なので、それくらいの時期に使われていた物である必要があります。



◎大理石の解剖台

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まず第一に視神経を吸い寄せられまするのは、部屋の中央を楕円形に区切って、気味の悪い野白色の光りを放っている解剖台で御座います。この解剖台は元来、美事な白大理石で出来ているので御座いますが、今日までにこの上で数知れず処分されました死人の血とか、脂肪とか、垢とかいうものが少しずつ少しずつ大理石の肌目に浸み込んで、斯様な陰気な色に変化してしまったもので御座います。

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第二展示室の中でひときわ目を引く大きな解剖台は、小説の描写通り白大理石で出来ています。天面に空いている穴が生々しいです。製造年は「大正初期輸入」と説明板に書いてあるので時期も合っています。どの国から輸入されたのかは、分かる説明員さんがその時はいなかったので確認することができませんでした。提供元である倉敷中央病院は、大正12年(1923年)に創設されたそうです。小説では解剖台の形は「楕円形」とありますが、こちらは中央がくびれている「ひょうたん型」です。これに似た形状の解剖台が、1890年頃のニューヨークの死体安置所の写真に写っているのを見つけました。「野白色」とはどのような色でしょうか。調べても分かりませんでしたが、私のイメージは「古い増女の能面の色」という感じです。この解剖台は特に陰気な色には見えませんでしたが。



◎シンメルブッシュ

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その解剖台上に投げ出された、黒い、凹字型の木枕に近く、映画面の左手に当ってギラギラと眼も眩むほど輝いておりますのは背の高い円筒形、ニッケル鍍金の湯沸器(シンメルブッシュ)で御座います。これは特別註文の品でも御座いましょうか、欧洲中世紀の巨大な寺院、もしくは牢獄の模型とも見える円筒型の塔の無数の窓から、糸のような水蒸気がシミジミと洩れ出している光景は、何かしらこの世ならぬ場面を聯想させるに充分で御座います。

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写真中央の器具がシンメルブッシュです。確かに円筒型の塔のようで、スチームパンクの世界に出てきそうな造形です。説明板には「シンメルブッシュ氏 蒸気消毒器 製造:34年頃 製造元:泉工医科工業(株)」と書いてあります(泉工医科工業のホームページを見ると、前身の青木器械店の創業は1940年と書いてあり、今のところ製造年代不明ですが)。資料館のホームページによると、シンメルブッシュとは煮沸で手術器具などを消毒する製品で、1800年代後半のドイツの外科医シンメルブッシュが考案したそうです。





◎喇叭型聴診器

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……と……やがて突然、吾に帰ったようにハッとして、誰も居ない筈の部屋の中をグルリと見廻しました若林博士は、黒装束の右のポケットに手を突込んで、何やら探し索めているようで御座いましたが、そのうちにフト又、思い出したように寝棺の箱に近付いて、美しく堆積した着物の下から、子供の玩具ほどの大きさをした黒い、喇叭型の筒を一本取り出しました。これはこの節の医者は余り用いませぬ旧式の聴診器で、人体内の極く微細な音響まで聴き取ろうと致します場合には、現今のゴム管式のものよりもこちらの方が有利なので御座います。

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若林博士がポケットから取り出した黒い喇叭型聴診器とは、写真中央のようなものだったのでしょうか。説明板には「榎本式産科聴診器 大正15年」と書いてあります。または「トラウベ式」ともいい、フランスの医師ルネ・ラエンネック(1781〜1826)が発明した聴診器の原型に、ドイツの医師ルードヴィッヒ・トラウベ(1818〜1876)が使いやすく携帯に便利なように改良したものだそうです。「この節の医者は余り用いませぬ旧式の聴診器で」とか「現今のゴム管式のものよりも」と上記の引用文にもあるように、大正末期には両耳式のタイプが既に普及していたようです。


他にもドグラ・マグラの世界を想像するのに役立ちそうな大正時代(または昭和初期)の医療器具が展示されていました。下記はその一部です。

↑足踏式の加里(カリ)石鹸容器
高身長の若林博士が背中を丸めてこの器具から液体石鹸を取り、黙々と手を洗う光景を想像したりします。

↑明治〜大正時代の顕微鏡
全てカールツァイス社製。左から、明治40年、明治45年、大正8年、大正初期、大正末期。他に、ライツ社の顕微鏡をモデルに作られた大正初期の国産「エム・カテラ」も。この時代の顕微鏡は、ドイツから輸入されたものが多かったのですね。正木博士は価格の高いドイツ製、若林博士は国産を使っていたのでしょうか。

↑大正時代中期にドイツから輸入された顕微鏡写真装置。

↑手術室で使う無影照明灯。

↑大正末期〜昭和初期の手術台。

↑大正時代の吸入器。アルコールランプで発生させた蒸気で薬液を喉に噴霧するそうです。

↑肺結核治療に使う人工気胸器。大正末期〜昭和初期のもの。結核を患っていた若林博士はこのような機器を使用したのでしょうか。

↑明治末期から大正初期の応急用ガソリン灯。

↑手前は野戦病院などで使われたもの。この中に医療品を入れて馬に背負わせて移動したそうです。大正4年(1915年)発売。第一次世界大戦で使用されたのでしょうか。

↑私の絵。資料館で見た大理石の解剖台、シンメルブッシュ、加里石鹸容器を投入。



印西市立印旛医科器械歴史資料館
千葉県印西市舞姫1丁目1−1
※写真撮影を希望する場合は、事前にメールなどで許可を取る必要があります。

Dogra Magra (56) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(56)

お八代さんも眼をまん丸くしてうなずきながら聞いているようで御座いましたが、そのうちに若旦那はフイと口を噤んで、お八代さんが突きつけている巻物をジイッと見ていられたと思うとイキナリそれを引ったくって、懐中へ深く押込んでしまわれました。するとそれを又お八代さんは無理矢理に引ったくり返したので御座いましたが、あとから考えますと、これが又よくなかったようで……若旦那様は巻物を奪られると気抜けしたようになって、パックリと口を開いたまま、お八代さんの顔をギョロギョロと見ておられましたが、その顔付きの気味のわるかった事……流石のお八代さんも怖ろしさに、身を退いて、ソロソロと立ち上って出て行こうとしました。

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