『ドグラ・マグラ』夢野久作(70)

【字幕】 それから約二個月後の解放治療場に於ける呉一郎(同年九月十日撮影)
【映画】 解放治療場中央の桐の葉にチョイチョイ枯れた処が見える。その周囲の場内の平地の処々に真黒く、墓穴のように砂を掘り返したところが、重なり合って散在している。
(中略)
 舞踏狂の女学生が、呉一郎の背後に在る大きな穴の一つに落ち込んで、両足を空中に振りまわしながら悲鳴をあげた。ほかの患者たちが手を拍って喝采した。

(引用は青空文庫より)

The History of Bones by John Lurie

ジョン・ルーリーの回想録『骨の記憶』を読み始める。この人の語り口が可笑しくて(訳者の上手さもある)何度も笑う。人の悪口もたくさん書いてあってすごく面白い。ジョン・ルーリーのことはジム・ジャームッシュの映画に出ている俳優、ということしか知らなかったのだけど、2010年のワタリウム美術館の展覧会に行って、絵も描くし音楽もやることを知った。そこでラウンジ・リザードのCDを買って、まあまあ気に入って思い出した時に(6年に一回ぐらい)聴いてる。
と思い出し、久しぶりに聴こうとしたら、どうしても見つからない。もしかして売ってしまったか。

Trees

東京都東大和市にある旧吉岡家住宅にて。「アジサイの枝の断面にインクをつけてスタンプを押してみよう」というコーナーが庭にあったので、アジサイもどきの花と目の前の木を描いた。暑い日だったけど、木の葉の間を通ってきた気持ちの良い風が吹いていた。

ここは日本画家、吉岡堅二が住んでいた明治時代に建てられた家で、年2回一般公開されている。藤田嗣治が戦後この家を訪ねた時に撮影された写真が飾られていた。アトリエの入口の柱の横に座って斜め上を眺めている。私も同じ場所に座って藤田嗣治が見上げている方向を見たら、大きな木が生えていた。

ここで「目の前の木」とか「大きな木」とかしか言葉がでてこないのがもどかしい。もっと木の名前を覚えよう。

Dogra Magra (69) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(69)

【字幕】 解放治療場に呉一郎が現われた最初の日(大正十五年七月七日撮影)
【映画】 解放治療場のまん中に立った五六本の桐の木の真青な葉が、真夏の光りにヒラヒラと輝いている。
 その東側の入口から八名の狂人が行列を立てて順々に這入って来る。中には不思議そうに、そこいらを見まわしている者もあるが、やがてめいめいに取りどり様々の狂態を初める。
 その一番最後に呉一郎が這入って来る。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (68) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(68)

【字幕】 呉一郎の精神鑑定=大正十五年五月三日午前九時、福岡地方裁判所応接室に於ける。

(中略)

しかしその中で若林博士だけは眉一つ動かさずに、青白い瞳を冷やかに伏せて、正木博士の横顔を凝視していた。正木博士の表情の中から、人知れず何ものかを探し求めるかのように……。
けれども呉一郎は平気であった。正気を失った人間特有の澄み切った眼付きで、何の苦労もなげに正木博士の顔から視線を外そらすと、すぐ横に突立っている若林博士の長大なフロック姿を下から上の方へソロソロと見上げて行った。

(引用は青空文庫より)

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Moth

先日アーティゾン美術館のモネ展に行き、エミール・ガレ作の青い壷に蛾がモチーフとして使われているのを見て急に蛾が気になり、図書館で『世界の蛾』という本を借りた。私は蝶モチーフはあまり興味がないのだけれど、蛾というのは神秘的で顔もよく見ると愛嬌があって面白く、これは何かの絵に使いたいなと思った。子供の時は蛾は粉っぽい感じで毒々しいから好きではなかったし、中学の林間学校で外にあるトイレに夜行くと窓にびっしり蛾が張りついていて、そんなのも嫌だった。薄い和紙に墨で蛾を描いて蛍光灯に透かすと、光に集まってきたみたいだ。


Dogra Magra (67) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(67)

ハッハッハッハッ……。
……どうです諸君。面喰いましたかね。
これが吾輩の遺言書の中の最重要なる一部分なぞいうことは、もういい加減忘れて読んでいたでしょう。悲劇あり。喜劇あり。チャンバラあり。デカモノあり。これに加うるに有難屋の宣伝もありという塩梅で、ずいぶん共にオカカの感心、オビビのビックリに価する、奇妙奇天烈な記録の内容でげしょう。

(引用は青空文庫より)

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Dogra Magra (65) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(65)

――ところが軈て十四か五になられた頃であったかと思います。学校の帰りと見えまして、海老茶の袴を穿かれた千世子殿が、風呂敷包みを抱えたままこの方丈に這入って来られまして、唯一人で茶を飲んでおりました私に向って……和尚様……あの御本尊の真黒い仏様の中には美しい絵巻物が這入っておるとの事じゃげなが、ソッと私に見せて下さらぬか……という御話で御座います。

(引用は青空文庫より)

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At Mizumoto Park in Tokyo

葛飾区水元公園の広大な池。この日は風が強くて、ちょっとした海みたいな三角形の波が立っていた。向こう側に見えるのはメタセコイアの森。

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Mo

うちの猫、モー。
一昨年の夏、台風の日に迷い込んで来た兄弟のうち、弟(たぶん)の方。なぜ「モー」という名前かというと、額の「M」が目立つし、なんとなく間延びした顔だから。

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Y-junction

最近の散歩で見つけたY字路。

ジャネット・ウィンターソンの小説『さくらんぼの性は』を読み始めたら、次の文章が出てきて「歩かれなかった道」のことをちょっと考えた。

あらゆる旅は、その行間にもう一つの旅を隠している。歩かれなかった道、忘れ去られた曲り角。そういう旅のことを僕は書いておこうと思う。僕が実際にした旅ではなく、したかもしれない旅。あるいは別のとき、別の場所でした旅。

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A night in the park before the cherry blossom festival

千葉県市川市国府台にある里見公園の夜。

ここは室町時代に合戦があった場所で、大正時代には里見八景園という遊園地、戦争中は陸軍の病院があったそうで、園内には露出した古墳の石棺や国府台城の城跡なども残り、歴史が積み重なって濃密な気配を感じられるところです。

里見八景園のプール跡だという人工滝まで歩きましたが、奥の方は江戸時代みたいに真っ暗で誰もいないし、悲しい声が聞こえる石というのもあるということで、ちょっと、というかかなり怖い。

この日は桜まつりが始まる前夜で、ずらりと並んだ提灯の灯りに大正時代の名残りを感じました。

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Dogra Magra (63) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(63)

青黛山如月寺縁起(完)

〜あらすじ〜

さらに旅を続けると、ほどなく筑前は姪の浜に理想の土地を見つけ、田畑を求め屋敷を建てる。

寺を建立し青黛山如月寺と名付け、旅で背負ってきた弥勒菩薩の像を本尊として祀り、京都から一行という僧侶を招き住職になってもらう。

呉坪太郎となった虹汀と六美女は和歌を詠み、六美女が紙に書き写した三万枚の「南無阿弥陀仏」は人々に配られる。

延宝七年(1679年)、この因果応報と仏道の物語を一行が書き記す。

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Dogra Magra (62) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(62)

青黛山如月寺縁起(4)

〜あらすじ〜

虹汀、六美女、馬子の若者は、荷物を運ぶ四頭の馬と供に東を目指して旅立つ。

しばらくして後方から、雲井喜三郎が引き連れる数十人の捕吏たちが押し寄せるが、虹汀は竹の杖で次々に相手を気絶させる。

仏道に入り心を改めるよう諭すが、喜三郎は刀を手に襲いかかってくる。

眉間に杖で一撃された喜三郎は、雪を赤く染めて息絶える。

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Dogra Magra (61) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(61)

青黛山如月寺縁起(3)

〜あらすじ〜

秋の収穫も終わった頃、唐津藩の家老の三男である雲井喜三郎が六美女の家に押しかけ、酒乱状態になる。

逃げてきた六美女が海辺で虹汀に出会う。

追いかけてきた雲井喜三郎が虹汀に一喝され、崖から足をすべらせ海に落ちる。

六美女と虹汀が家に戻ると乳母が殺されていた。

虹汀は因縁の巻物を燃やし、呉家に婿入りすることを決める。

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Dogra Magra (59) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(59)

青黛山如月寺縁起(1)

〜あらすじ〜

時は慶安、京都の茶舗の息子である坪太郎が長じて出家し、西へ旅すること一年。

名を虹汀と改め、ある月夜に虹の松原を歩いていると、海に身を投げようとする娘、六美女に出会う。

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ドグラ・マグラの擬古文

ドグラ・マグラの世界を絵にする試みは、
「青黛山如月寺縁起」で立ち往生している。
下記のような文体がずーっと続くのですが、
チンプンカンプンで…。

晨に金光を鏤めし満目の雪、
夕には濁水と化して河海に落滅す。
今宵銀燭を列ねし栄耀の花、
暁には塵芥となつて泥土に委す。
三界は波上の紋、一生は空裡の虹とかや。
況んや一旦の悪因縁を結んで念々に解きやらず。
生きては地獄の転変に堕在し、
叫喚鬼畜の相を現し、
死しては悪果を子孫に伝へて
業報永劫の苛責に狂はしむ。
その懼怖、その苦患、
何にたとへ、何にたくらべむ。

これは作中に出てくる如月寺というお寺の
縁起(寺の沿革のこと)の冒頭部分ですが、
このような文体を「擬古文」というらしい。
しょうがないのでChatGPTに現代語訳してもらった。
それがこれ。

朝(あした)には金色に輝く光が
雪の一面にきらめいているが、
夕方になればそれも濁った水となって
川や海に流れ去ってしまう。
今宵の華やかに灯された銀の燭台の光景も、
夜が明ければ塵や芥(あくた)となって
泥の中にまみれていく。

この世(=三界)は、
水面に浮かぶ一時の模様にすぎず、
人の一生もまた、
空に消える虹のようなものだという。

ましてや、一度でも
「悪しき因縁」を結んでしまえば、
その報いは思念に残って晴れることなく、
生きているうちは地獄の苦しみに落ちて、
鬼や獣のような姿を現しながら苦悩にあえぎ、
死してはその悪果を子孫にまで伝えて、
果てしない業の報いに苦しみ続けることになる。

その恐ろしさや、その苦しみを、
一体何にたとえることができよう

そうなのか…、だいぶ分かりやすくなりました。