作成者別アーカイブ: mikinoki

Daguerréotypes by Agnès Varda (3)

アニエス・ヴァルダの1975年のドキュメンタリー『ダゲール街の人々』に出てくる香水調香師。1933年からダゲール街に店を構えているそうです(今はどうなっているのか)。雑多に商品が並ぶ薄暗い棚、「忘れられた在庫の匂いがする」埃をかぶったショーウィンドウ。この方の調香したシダの香水が欲しい。

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Daguerréotypes by Agnès Varda (2)

アニエス・ヴァルダのドキュメンタリー『ダゲール街の人々』に出てくる香水調香師の妻。19世紀のフランスの小説に出てくるおばあさんのような風貌。可憐で悲しげな少女みたいな雰囲気を漂わせて、お店の一部と化している。

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Daguerréotypes by Agnès Varda (1)

アニエス・ヴァルダの1975年のドキュメンタリー『ダゲール街の人々』に出てくるパリの個人商店で働く人たちが、19世紀か20世紀初頭に生きている人の顔みたいだった。

こちらはパン職人とマダム。

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Dogra Magra (49) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(49)

第二回の発作
◆第一参考 戸倉仙五郎の談話
▼聴取日時 大正十五年四月二十六日(所謂、姪之浜の花嫁殺し事件発生当日)午後一時頃―
▼聴取場所 福岡県早良郡姪之浜町二四二七番地、同人自宅に於て―
▼同席者 戸倉仙五郎(呉八代子方常雇農夫、当時五十五歳)―同人妻子数名―余(W氏)―以上―

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Sonic Youth, 16:05 and a blue curtain
千葉県印西市のマツムシコーヒーに行った時の印象。

『ドグラ・マグラ』夢野久作(51)

―サア私は不思議でならなくなりました。若旦那が何を見て御座るのか、一つ聞いて見ようと思いますと、急いで岩角を降りました。そうしてワザと遠廻りをして、若旦那の前に出てヒョッコリ顔を合わせますと、若旦那は私が近寄りましたのに気もつかれぬ様子で、半開きの巻物を両手に持ったまま、西の方の真赤になった空を見て何かボンヤリと考えて御座るようで御座います。そこで私が咳払いを一つ致しまして「モシ若旦那」と声をかけますと、ビックリさっしゃった様子で、私の顔をツクヅク見ておいでになりましたが「おお、仙五郎か。どうしてここへ来た」と初めて気が附いたようにニッコリ笑われますと、裏向きにして持って御座った巻物を捲き納めながら、グルグルと紐で巻いてしまわれました。

『ドグラ・マグラ』夢野久作(50)

―若旦那様は、温柔しい、口数の尠い御仁で御座いました。直方からこちらへ御座って後というもの、いつも奥座敷で勉強ばっかりして御座ったようですが、雇人や近所の者にも権式を取らしゃらず、まことに評判がよろしゅう御座いました。それに今までは呉家の人と申しましても後家のお八代さんと十七になる娘のオモヨさんと二人切りで、家の中が何となく陰気で御座いましたが、一昨年の春から若旦那が御座らっしゃるようになると、妙なもので、家内がどことなく陽気になりまして、私共も働らき甲斐があるような気持が致して参りましたような訳で……ヘイ……。そのうちに、今年の春になりましてからは又、若旦那様が福岡の高等学校を一番の成績で卒業して、福岡の大学に又やはり一番で這入らっしゃると、そのお祝を兼ねて、若旦那とオモヨさんの祝言があるというような事で、呉さんのお家はもう、何とのう浮き上るようなあんばいで……ヘイ……。

Dogra Magra (48) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(48)

◆第三参考 松村マツ子女史(福岡市外水茶屋、翠糸女塾主)談
▼同年同月四日 玄洋新報社朝刊切抜抜萃再録
(中略)
けれどもその頃の怨みにしちゃ、チット古過ぎますわねえ。ホホ……。
―ヘエッ、それがあの有名な迷宮事件の呉さんですって?……マアどうしましょう。どうして虹野さんが、呉さんという事が判ったんですか。ヘエ、東京の袋物屋のお神さんに身の上を話していた。只、男の名前だけが判らない……ヘエ、そうですか。どうぞこの事は内証にして下さい。云々。

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Dogra Magra (47) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(47)

◆第二参考 呉一郎伯母八代子の談話
▼同所同時刻に於て、呉一郎が外出後―
(中略)
―私の家は只今のところでは遠い親類しか居りませぬので、只今では親身の者と申しましては娘と私と二人切りで御座います。一郎はこれから私の子供分に致しまして、私の力一パイ立派な人間に育て上げて行きたいと存じますが……父無子と位牌子をたよりに、暮すことを思いますと……(涕泣)。

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Dogra Magra (46) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(46)

―僕が一番好きなのは語学ですが、その中でも一番面白いのは外国の小説を読むことで、特にその中でもポーと、スチブンソンと、ホーソンが好きです。みんな古いって云いますけど……今に大学に這入ったら精神病を研究してみようかとも思っている位です。ホントウは文科に入って各国の言葉を研究して、母と一緒に父の行衛を探しに行きたいと考えていましたが、父の事に就いては母が極く少しばかりしか話さずに死んでしまいましたのでガッカリしています。

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Dogra Magra (45) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(45)

―僕はそれから、奥の方にある狭い室で、木製のバンコ(九州地方の方言。腰掛の事)に腰かけさせられて、巡査部長や刑事から色々な事を訊かれました。けれども、頭が割れるように痛んでいましたのでどんな返事をしたかスッカリ忘れてしまいました。「嘘だろう嘘だろう」って何遍も云われましたから「嘘じゃない嘘じゃない」と云い張った事だけは記憶ていますけれど…………。

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Dogra Magra (44) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(44)

―それから警察署で先生(W氏)にお話しましたように変な夢ばかり見ていたのです。僕は夢なんか滅多に見た事はないのに、あの晩はホントに不思議でした。イイエ。人を殺すような夢は見なかったようですけど、汽車が線路から外れてウンウン唸りながら僕を追っかけて来たり、巨大な黒い牛が紫色の長い長い舌を出してギョロギョロと僕を睨んだり、青い青い空のまん中で太陽が真黒な煤煙をドンドン噴き出して転げまわったり、富士山の絶頂が二つに裂けて、真赤な血が洪水のように流れ出して僕の方へ大浪を打って来たりして、とても恐しくて恐しくてたまりませんけど、何故だか足が動かなくなって、いくら逃げようとしても逃げられないのです。その中に家主さんの養鶏所から鶏の啼き声が二三度きこえたように思いましたが、それでも、そんな恐しい夢が、あとからあとからハッキリと見えて来ますので、どうしても醒める事ができません。ですから一所懸命になって苦しがって藻掻いておりますと、そのうちにやっとの思いで眼を開ける事が出来ました。

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Dogra Magra (43) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(43)

―それに又、僕は小さい時から方々を引越していたせいか、友達が些いのです。こっちへ来ましても学校友達はあまり出来ませんでしたが、その中に中学の四年になりますと、すぐに一所懸命の思いをして、福岡の六本松の高等学校へ這入りましたら、空気がトテモ綺麗で見晴しが素敵なので嬉しくて嬉しくて堪りませんでした……エエ……そんなに早く試験を受けましたのは直方が嫌いだったからでもありますけど、ホントの事を云いますと、早く大学が卒業したかったんです。そうして母と約束していた父の話を出来るだけ早く聞いてみたいような気持がして仕様がなかったのです……母にはそんな事は云いませんでしたけれども……中学へ入る時もそうだったのです。何故っていうわけはありませんでしたけども……そうしてやっと文科の二年になったばかしのところです(赤面、暗涙)。

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Dogra Magra (41) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(41)

―東京で住んでいた処ですか。それは方々に居りましたようです。僕が記憶えているだけでも駒沢や、金杉や、小梅、三本木という順に引越して行きまして、一番おしまいに居た麻布の笄町からこっちへ来たのです。いつでも二階だの、土蔵の中だの、離座敷みたような処だのを二人で間借りをして、そこで母はいろんな刺繍をした細工物を作るのでしたが、それが幾つか出来上りますと、僕を背負って、日本橋伝馬町の近江屋という家に持って行きました。そうするとその家の綺麗にお化粧をしたお神さんが、キット僕にお菓子を呉れました。今でもその家と、お神さんの顔をおぼえております。

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Dogra Magra (42) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(42)

―東京から直方へ来たわけは、母が卜筮を立てたんだそうです。「狸穴の先生はよく適中る」って云っていましたから大方、その先生が云ったのでしょう。「お前達親子は東京に居るといつまでも不運だ。きっと何かに呪われているのだから、その厄を落すためには故郷へ帰ったがいい。今年の旅立ちは西の方がいいとこの通り易のオモテに出ている。お前は三碧木星で、菅原道真や市川左団次なぞと同じ星廻りだから、三十四から四十までの間が一番災難の多い大切な時だ。尋ね人は七赤金星で、三碧木星とは相剋だから早く諦めないと大変な事になる。双方の所持品同志でも近くに置くとお互いに傷つけ合おうとする位で、相剋の中でも一番恐ろしい相剋なのだから、忘れても相手の遺品なぞを傍近くに置いてはいけない。そうして四十を越せば平運になって、四十五を越せば人並はずれたいい運が開けて来る」と云ったんだそうです。

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Dogra Magra (40) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(40)

それから母は僕を背負って、毎日毎日方々の家を訪ねていたようですが、どっちを向いても山ばかりだったので、毎日毎日帰ろう帰ろうと言って泣いては叱られていたようです。それから又、馬車と汽車に乗って東京へ帰りましてから、山の中で馬車屋が吹いていたのと、おんなじ音のする喇叭を買ってもらった事を記憶しています。

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Dogra Magra (39) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(39)

―けれども母が一所懸命で、父の行衛を探しているらしい事は、僕にもよく判りました。僕が四ツか五ツの時だったと思いますが、母と一緒に東京のどこかの大きな停車場から汽車に乗って長い事行くと、今度は馬車に乗って、田圃の中や、山の間の広い道を、どこまでもどこまでも行った事がありました。一度眠ってから眼を醒ましたら、まだ馬車に乗っていた事を記憶えています。そうして夕方、真暗になってから或町の宿屋へ着きました。

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Dogra Magra (38) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(38)

―W氏の手記に拠る―
第一回の発作
◆第一参考 呉一郎の談話
▼聴取日時 大正十三年四月二日午后零時半頃。同人母にして、左記女塾の主人たる被害者千世子(三十六歳)の初七日仏事終了後―
▼聴取場所 福岡県鞍手郡直方町日吉町二〇番地ノ二、つくし女塾の二階八畳、呉一郎の自習室兼寝室に於て―
▼同席者 呉一郎(十八歳)被害者千世子の実子、伯母八代子(三十七歳)福岡県早良郡姪の浜町一五八六番地居住、農業―余(W氏)―以上三人―

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