夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』の絵を描くためのプチリサーチ(3)
若林博士が真夜中の屍体解剖室で、奇怪な死体偽造工作をする場面があります。私にはあまり馴染みのない医療用具がいくつか登場するので、実物を見てみたいと検索して見つけたのが、医療機器を専門に展示している『印西市立印旛医科器械歴史資料館』です。江戸後期から昭和まで、1000点を超える収蔵品で世界有数の規模を誇り、全国から人が来るそうです。
私が訪れた時はほとんど来館者がいなかったので、古い医療器具が所狭しと置かれている静かな館内(元々消防署だった建物で、微妙にレトロで年季が入っている)をじっくりと見て回れました。
今回確認したいのは「大理石の解剖台」「シンメルブッシュ」「喇叭型聴診器」の3点です。小説の舞台は大正15年(1926)なので、それくらいの時期に使われていた物である必要があります。
・
・
・
◎大理石の解剖台
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
まず第一に視神経を吸い寄せられまするのは、部屋の中央を楕円形に区切って、気味の悪い野白色の光りを放っている解剖台で御座います。この解剖台は元来、美事な白大理石で出来ているので御座いますが、今日までにこの上で数知れず処分されました死人の血とか、脂肪とか、垢とかいうものが少しずつ少しずつ大理石の肌目に浸み込んで、斯様な陰気な色に変化してしまったもので御座います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第二展示室の中でひときわ目を引く大きな解剖台は、小説の描写通り白大理石で出来ています。天面に空いている穴が生々しいです。製造年は「大正初期輸入」と説明板に書いてあるので時期も合っています。どの国から輸入されたのかは、分かる説明員さんがその時はいなかったので確認することができませんでした。提供元である倉敷中央病院は、大正12年(1923年)に創設されたそうです。小説では解剖台の形は「楕円形」とありますが、こちらは中央がくびれている「ひょうたん型」です。これに似た形状の解剖台が、1890年頃のニューヨークの死体安置所の写真に写っているのを見つけました。「野白色」とはどのような色でしょうか。調べても分かりませんでしたが、私のイメージは「古い増女の能面の色」という感じです。この解剖台は特に陰気な色には見えませんでしたが。
・
・
・
◎シンメルブッシュ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その解剖台上に投げ出された、黒い、凹字型の木枕に近く、映画面の左手に当ってギラギラと眼も眩むほど輝いておりますのは背の高い円筒形、ニッケル鍍金の湯沸器(シンメルブッシュ)で御座います。これは特別註文の品でも御座いましょうか、欧洲中世紀の巨大な寺院、もしくは牢獄の模型とも見える円筒型の塔の無数の窓から、糸のような水蒸気がシミジミと洩れ出している光景は、何かしらこの世ならぬ場面を聯想させるに充分で御座います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
写真中央の器具がシンメルブッシュです。確かに円筒型の塔のようで、スチームパンクの世界に出てきそうな造形です。説明板には「シンメルブッシュ氏 蒸気消毒器 製造:34年頃 製造元:泉工医科工業(株)」と書いてあります(泉工医科工業のホームページを見ると、前身の青木器械店の創業は1940年と書いてあり、今のところ製造年代不明ですが)。資料館のホームページによると、シンメルブッシュとは煮沸で手術器具などを消毒する製品で、1800年代後半のドイツの外科医シンメルブッシュが考案したそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
……と……やがて突然、吾に帰ったようにハッとして、誰も居ない筈の部屋の中をグルリと見廻しました若林博士は、黒装束の右のポケットに手を突込んで、何やら探し索めているようで御座いましたが、そのうちにフト又、思い出したように寝棺の箱に近付いて、美しく堆積した着物の下から、子供の玩具ほどの大きさをした黒い、喇叭型の筒を一本取り出しました。これはこの節の医者は余り用いませぬ旧式の聴診器で、人体内の極く微細な音響まで聴き取ろうと致します場合には、現今のゴム管式のものよりもこちらの方が有利なので御座います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
若林博士がポケットから取り出した黒い喇叭型聴診器とは、写真中央のようなものだったのでしょうか。説明板には「榎本式産科聴診器 大正15年」と書いてあります。または「トラウベ式」ともいい、フランスの医師ルネ・ラエンネック(1781〜1826)が発明した聴診器の原型に、ドイツの医師ルードヴィッヒ・トラウベ(1818〜1876)が使いやすく携帯に便利なように改良したものだそうです。「この節の医者は余り用いませぬ旧式の聴診器で」とか「現今のゴム管式のものよりも」と上記の引用文にもあるように、大正末期には両耳式のタイプが既に普及していたようです。
・
・
・
他にもドグラ・マグラの世界を想像するのに役立ちそうな大正時代(または昭和初期)の医療器具が展示されていました。下記はその一部です。
↑足踏式の加里(カリ)石鹸容器
高身長の若林博士が背中を丸めてこの器具から液体石鹸を取り、黙々と手を洗う光景を想像したりします。
↑明治〜大正時代の顕微鏡
全てカールツァイス社製。左から、明治40年、明治45年、大正8年、大正初期、大正末期。他に、ライツ社の顕微鏡をモデルに作られた大正初期の国産「エム・カテラ」も。この時代の顕微鏡は、ドイツから輸入されたものが多かったのですね。正木博士は価格の高いドイツ製、若林博士は国産を使っていたのでしょうか。
↑大正時代中期にドイツから輸入された顕微鏡写真装置。
↑手術室で使う無影照明灯。
↑大正末期〜昭和初期の手術台。
↑大正時代の吸入器。アルコールランプで発生させた蒸気で薬液を喉に噴霧するそうです。
↑肺結核治療に使う人工気胸器。大正末期〜昭和初期のもの。結核を患っていた若林博士はこのような機器を使用したのでしょうか。
↑明治末期から大正初期の応急用ガソリン灯。
↑手前は野戦病院などで使われたもの。この中に医療品を入れて馬に背負わせて移動したそうです。大正4年(1915年)発売。第一次世界大戦で使用されたのでしょうか。
↑私の絵。資料館で見た大理石の解剖台、シンメルブッシュ、加里石鹸容器を投入。
・
・
・

印西市立印旛医科器械歴史資料館
千葉県印西市舞姫1丁目1−1
※写真撮影を希望する場合は、事前にメールなどで許可を取る必要があります。














