カテゴリー別アーカイブ: ドグラ・マグラ

Dogra Magra (45) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(45)

―僕はそれから、奥の方にある狭い室で、木製のバンコ(九州地方の方言。腰掛の事)に腰かけさせられて、巡査部長や刑事から色々な事を訊かれました。けれども、頭が割れるように痛んでいましたのでどんな返事をしたかスッカリ忘れてしまいました。「嘘だろう嘘だろう」って何遍も云われましたから「嘘じゃない嘘じゃない」と云い張った事だけは記憶ていますけれど…………。

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Dogra Magra (44) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(44)

―それから警察署で先生(W氏)にお話しましたように変な夢ばかり見ていたのです。僕は夢なんか滅多に見た事はないのに、あの晩はホントに不思議でした。イイエ。人を殺すような夢は見なかったようですけど、汽車が線路から外れてウンウン唸りながら僕を追っかけて来たり、巨大な黒い牛が紫色の長い長い舌を出してギョロギョロと僕を睨んだり、青い青い空のまん中で太陽が真黒な煤煙をドンドン噴き出して転げまわったり、富士山の絶頂が二つに裂けて、真赤な血が洪水のように流れ出して僕の方へ大浪を打って来たりして、とても恐しくて恐しくてたまりませんけど、何故だか足が動かなくなって、いくら逃げようとしても逃げられないのです。その中に家主さんの養鶏所から鶏の啼き声が二三度きこえたように思いましたが、それでも、そんな恐しい夢が、あとからあとからハッキリと見えて来ますので、どうしても醒める事ができません。ですから一所懸命になって苦しがって藻掻いておりますと、そのうちにやっとの思いで眼を開ける事が出来ました。

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Dogra Magra (43) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(43)

―それに又、僕は小さい時から方々を引越していたせいか、友達が些いのです。こっちへ来ましても学校友達はあまり出来ませんでしたが、その中に中学の四年になりますと、すぐに一所懸命の思いをして、福岡の六本松の高等学校へ這入りましたら、空気がトテモ綺麗で見晴しが素敵なので嬉しくて嬉しくて堪りませんでした……エエ……そんなに早く試験を受けましたのは直方が嫌いだったからでもありますけど、ホントの事を云いますと、早く大学が卒業したかったんです。そうして母と約束していた父の話を出来るだけ早く聞いてみたいような気持がして仕様がなかったのです……母にはそんな事は云いませんでしたけれども……中学へ入る時もそうだったのです。何故っていうわけはありませんでしたけども……そうしてやっと文科の二年になったばかしのところです(赤面、暗涙)。

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Dogra Magra (41) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(41)

―東京で住んでいた処ですか。それは方々に居りましたようです。僕が記憶えているだけでも駒沢や、金杉や、小梅、三本木という順に引越して行きまして、一番おしまいに居た麻布の笄町からこっちへ来たのです。いつでも二階だの、土蔵の中だの、離座敷みたような処だのを二人で間借りをして、そこで母はいろんな刺繍をした細工物を作るのでしたが、それが幾つか出来上りますと、僕を背負って、日本橋伝馬町の近江屋という家に持って行きました。そうするとその家の綺麗にお化粧をしたお神さんが、キット僕にお菓子を呉れました。今でもその家と、お神さんの顔をおぼえております。

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Dogra Magra (42) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(42)

―東京から直方へ来たわけは、母が卜筮を立てたんだそうです。「狸穴の先生はよく適中る」って云っていましたから大方、その先生が云ったのでしょう。「お前達親子は東京に居るといつまでも不運だ。きっと何かに呪われているのだから、その厄を落すためには故郷へ帰ったがいい。今年の旅立ちは西の方がいいとこの通り易のオモテに出ている。お前は三碧木星で、菅原道真や市川左団次なぞと同じ星廻りだから、三十四から四十までの間が一番災難の多い大切な時だ。尋ね人は七赤金星で、三碧木星とは相剋だから早く諦めないと大変な事になる。双方の所持品同志でも近くに置くとお互いに傷つけ合おうとする位で、相剋の中でも一番恐ろしい相剋なのだから、忘れても相手の遺品なぞを傍近くに置いてはいけない。そうして四十を越せば平運になって、四十五を越せば人並はずれたいい運が開けて来る」と云ったんだそうです。

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Dogra Magra (40) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(40)

それから母は僕を背負って、毎日毎日方々の家を訪ねていたようですが、どっちを向いても山ばかりだったので、毎日毎日帰ろう帰ろうと言って泣いては叱られていたようです。それから又、馬車と汽車に乗って東京へ帰りましてから、山の中で馬車屋が吹いていたのと、おんなじ音のする喇叭を買ってもらった事を記憶しています。

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Dogra Magra (39) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(39)

―けれども母が一所懸命で、父の行衛を探しているらしい事は、僕にもよく判りました。僕が四ツか五ツの時だったと思いますが、母と一緒に東京のどこかの大きな停車場から汽車に乗って長い事行くと、今度は馬車に乗って、田圃の中や、山の間の広い道を、どこまでもどこまでも行った事がありました。一度眠ってから眼を醒ましたら、まだ馬車に乗っていた事を記憶えています。そうして夕方、真暗になってから或町の宿屋へ着きました。

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Dogra Magra (38) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(38)

―W氏の手記に拠る―
第一回の発作
◆第一参考 呉一郎の談話
▼聴取日時 大正十三年四月二日午后零時半頃。同人母にして、左記女塾の主人たる被害者千世子(三十六歳)の初七日仏事終了後―
▼聴取場所 福岡県鞍手郡直方町日吉町二〇番地ノ二、つくし女塾の二階八畳、呉一郎の自習室兼寝室に於て―
▼同席者 呉一郎(十八歳)被害者千世子の実子、伯母八代子(三十七歳)福岡県早良郡姪の浜町一五八六番地居住、農業―余(W氏)―以上三人―

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Dogra Magra (37) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(37)

……この事件は如何なる心理遺伝の爆発に依て生じたものか? その心理遺伝を故意に爆発させた者が居るか居ないか。又、居るとすればどこに居るか。そうしてこの事件に対する若林と吾輩の態度はこの事件の解決に対して、如何なる暗示を投げかけているか……という風にね。併し、よっぽど緊りと褌を締めてかからないと駄目だよ……なぞと脅かしておいて、その間に吾輩は悠々とスコッチを呷り、ハバナを燻そうという寸法だ……ハハン…………。

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Dogra Magra (36) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(36)

斯くして事件勃発以後に於ける二人の博士の最初の会見は、この大欠伸によって皮切られたのでありますが、続いて始まる二人の会話が、表面から見ますと何等の隔意もないように思われまするにも拘らず、その裏面には何かしら互いに痛烈な皮肉を含ませて、出来るだけ深刻に相手を脅威すべく火花を散らしている……らしい事にお気が付かれましたならば、この事件の裡面に横たわっている暗流が如何に大きく、且つ、深いものがあるかを御推察になるのに充分であろうと信じまする次第で……。

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Dogra Magra (35) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(35)

ところへ、青いメリンスの風呂敷を一個、大切そうに抱えた若林博士が、長大なフロック姿を音もなく運んで這入って来まして、正木博士と向い合った小さな回転椅子に腰をかけました。矮小な正木博士が、大きな椅子の中一パイにハダカッているのに対して、巨大な若林博士が、小さな椅子の中に恭しく畏かしこまっている光景は、いよいよ絶好の漫画材料で御座います。……と、やがて若林博士は例によって持病の咳に引っかかりまして、白いハンカチを口に当てたまま、ゴホンゴホンと苦しみ始めました。
 正木博士はその騒ぎでやっと眼を醒ましたものと見えまして、新聞と葉巻を空中にヤーッとさし上げて、眼の前の若林博士は勿論のこと、この室も、九州大学も、しまいには自分自身までも一呑みにしてしまいそうな、素敵もない大欠伸を一つしました。

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Dogra Magra (34) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(34)

……冷たい……物々しい、九大法医学部屍体解剖室の大理石盤の上に、又と再び見出されないであろう絶世の美少女の麻酔姿……地上の何者をも平伏さしてしまうであろう、その清らかな胸に波打つふくよかな呼吸……。
その呼吸の香に酔わされたかのように若林博士はヒョロヒョロと立直りました。そうして少女の呼吸に共鳴するような弱々しい喘ぎを、黒い肩の上で波打たせ初めたと思うと、上半身をソロソロと前に傾けつつ、力無くわななく指先で、その顔の黒い蔽いを額の上にマクリ上げました。
……おお……その表情の物凄さ……。
白熱光下に現われたその長大な顔面は、解剖台上の少女とは正反対に、死人のように疲れ弛んだまま青白い汗に濡れクタレております。その眼には極度の衰弱と、極度の興奮とが、熱病患者のソレの如く血走り輝やいております。その唇には普通人に見る事の出来ない緋色が、病的に干乾び付いております。そうした表情が黒い髪毛を額に粘り付かせたまま、コメカミをヒクヒクと波打たせつつ、黒装束の中から見下している……。
彼はこうして暫くの間、動きませんでした。何を考えているのか……何をしようとしているのか解らないまま……。

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Dogra Magra (33) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(33)

大正十五年四月二十七日夜の、九大法医学部、解剖室には、かくして二個の少女の肉体が並べられた事になります。美しく蘇りかけている少女と、醜くく強直している少女と……中にも解剖台上に紅友禅を引きはえました少女の肉体は、ほんの暫くの間に著しく血色を回復しておりまして、麻酔をかけられたままに細々と呼吸しはじめている、そのふくよかな胸の高低が見える位になっております。その異常な平和さ、なまめかしさ……
(中略)
そのうちに脈を取っていた少女の手を投げ出して、時計をポケットに納めました若林博士は、その少女の身体をそっと抱え上げて、部屋の隅に横たえてある寝棺の蓋の上に寝かしました。そうしてその代りに四一四号の少女の強直屍体を解剖台の上に抱え上げて、凹字型の古びた木枕を頭部に当てがいますと、大きな銀色の鋏を取上げて、全身を巻立てている繃帯をブツブツと截り開く片端から、取除いて行きましたが……

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Dogra Magra (31) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(31)

そうした解剖台と、湯沸器と、白い寝棺と、三通りの異様な物体の光りの反射を、四方八方から取り巻く試験管、レトルト、ビーカー、フラスコ、大瓶、小瓶、刃物等のおびただしい陰影の行列……その間に散在する金色、銀色、白、黒の機械、器具のとりどりさまざまの恰好や身構え……床の上から机の端、棚の上まで犇めき並んでいる紫、茶、乳白、無色の硝子鉢、または暗褐色の陶器の壺。その中に盛られている人肉の灰色、骨のコバルト色、血のセピア色……それらのすべてが放つ眩しい……冷たい……刺すような、斬るような、抉るような光芒と、その異形な投影の交響楽が作る、身に滲みわたるような静寂さ……。
しかも……見よ……その光景の中心に近く、白絹に包まれた寝棺と、白大理石の解剖台の間から、スックリと突立ち上った真黒な怪人物の姿……頭も、顔も、胴体も悉く、灰黒色の護謨布で包んで、手にはやはり護謨と、絹の二重の黒手袋を、また、両脚にも寒海の漁夫がはくような巨大なゴムの長靴を穿っておりますが、その中に、ただ眼の処だけが黄色く縁取られた、透明なセルロイドになっております姿は、さながらに死人の心臓を取って喰うという魔性の者のような物々しさ……または籔の中に潜んでいる黒蝶の仔虫を何万倍かに拡大したような無気味さ……のみならず、あんなに高いところにある電球のスイッチを、楽々と手を伸してねじって行った、その素晴しい背丈の高さ……。こう申しましたならば諸君はお察しになりましたでしょう。この怪人物こそは、かの有名な「血液に依る親子の鑑別法」の世界最初の発見者であると同時に、現在『精神科学応用の犯罪と、その証跡』と題しまする、空前の名著を起草しつつある現代法医学界の第一人者、若林鏡太郎氏その人であります。

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Dogra Magra (32) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(32)

右手に見えております混凝土の暗い階段は、この部屋が地下室であることを示しておりますので、正面に並んだ白ペンキ塗の十数個の大きな抽斗は、皆、屍体の容器なのでございます。すなわちこの部屋は、九大医学部長の責任管理の下にある屍体冷蔵室で、真夏の日中といえども、肌膚が粟立つばかりの低温を保っているのでありますが、ことにただ今は深夜のこととて、その気味の悪い静けさは、死人の呼吸も聞えるかと疑われるくらい……。

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Dogra Magra (30) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(30)

……エエ……これが天下に有名な九州帝国大学、医学部、精神病科教授、医学博士、正木敬之氏でございます。背景は九州帝国大学、精神病科本館、講堂のボールドで、白い診察服を着ておりますのは、平生の講義姿をそのままにあらわしたものでございます。
(中略)
……もったいなくもK・C・MASARKEY会社の超々特作と題しまして『狂人の解放治療』という、もちろん今回が封切の天然色、浮出し、発声映画とございまして、出演俳優は皆、関係者本人の実演に係る実物応用ばかり……
(中略)
実母と許嫁と、二人の婦人を絞殺した怪事件の嫌疑者、呉一郎(明治四十年十一月二十日生)大正十五年十月十九日、九州帝国大学、精神病科教室附属、狂人解放治療場に於て撮影―

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Dogra Magra (29) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(29)

これが正木博士のいわゆる「脳髄論」から割出された「胎児の夢」の続きである「心理遺伝」の原則に支配されて動いている狂人たちであります。……しかも、これから三時間後……大正十五年十月十九日の正午となりまして、海向うのお台場から、轟然たる一発の午砲が響き渡りますと、それを合図にこの十人の狂人たちの中から、思いもかけぬスバラシイ心理遺伝の大惨劇が爆発致しまして、天下の耳目を衝動させると同時に、正木先生を自殺の決心にまでおい詰める事に相成るのでありますが、その大惨劇の前兆とも申すべき現象は、すでにただ今から、この解放治療場内にアリアリと顕われているので御座いますから、よくお眼を止められまして、狂人たちの一挙一動を精細に御観察あらんことを希望いたします。

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Dogra Magra (28) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(28)

この解放治療場を取巻いておりまする赤煉瓦の塀は、高さが一丈五尺。これに囲まれました四角い平地は全部この地方特有の真白い石英質の砂でございますから、清浄この上もありませぬ。真中に桐の木が五本ほど、黄色い枯れ葉を一パイにつけて立っております。
(中略)
治療場の入口は、東側の病室に近いところにただ一つ開いておりまして、便所への通路をかねておりますが、その入口板戸の横に切り開けられた小さな横長い穴から、黒い制服制帽の人相の悪い巨漢が、御覧のとおり朝から晩まで、冷たい眼付で場内を覗いているところを御覧になりますると、この四角い解放治療場の全体が、さながらに緑の波の中に据えられた巨大な魔術の箱みたように感じられましょう。
この魔術の箱の底に敷かれました白い砂が、一面に真青な空の光を受けて、キラキラと輝いております上を、黒い人影が、立ったり、座ったりして動いております。一人……二人……三人……四人……五人……六人……都合十人おります。

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Dogra Magra (27) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(27)

空前絶後の遺言書
―大正十五年十月十九日夜
―キチガイ博士手記

ヤアヤア。遠からん者は望遠鏡にて見当をつけい。近くんば寄って顕微鏡で覗いて見よ。吾こそは九州帝国大学精神病科教室に、キチガイ博士としてその名を得たる正木敬之とは吾が事也。今日しも満天下の常識屋どもの胆っ玉をデングリ返してくれんがために、突然の自殺を思い立ったるそのついでに、古今無類の遺言書を発表して、これを読む奴と、書いた奴のドチラが馬鹿か、気違いか、真剣の勝負を決すべく、一筆見参仕るもの……吾と思わん常識屋は、眉に唾して出で会い候え候え……。
……と書き出すには書き出してみたがサテ、一向に張合いがない。
……ない筈だ。吾輩は今、九大精神病学教室、本館階上教授室の、自分の卓子の前の、自分の廻転椅子に腰をかけて、ウイスキーの角瓶を手近に侍らして、万年筆を斜に構えながら西洋大判罫紙(フールスカップ)の数帖と睨めっくらをしている。頭の上の電気時計はタッタ今午後の十時をまわったばかり……横啣えをした葉巻からは、紫色の煙がユラリユラリ……なんの事はない、糞勉強のヘッポコ教授が、居残りで研究をしている恰好だ。トテモ明日の今頃には、お陀仏になっている人間とは思えないだろう。……アハハハ……。

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Dogra Magra (25) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(25)

……ナニイ。眼が眩って来たア……。
アハハハハハ……それあ眩るだろう。吾輩の気焔を聞かされたら、大抵の奴がフラフラフラと……。
……ナ……なんだ。そうじゃない。葉巻に酔ったんだと?……
アッハッハッハッ……コイツは大笑いだ。
ワッハッハッハッハッハッハッ。
(文責在記者)

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Dogra Magra (26) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(26)

胎児の夢
(中略)
人間の胎児は、母の胎内に居る十箇月の間に一つの夢を見ている。
その夢は、胎児自身が主役となって演出するところの「万有進化の実況」とも題すべき、数億年、ないし、数百億年に亘るであろう恐るべき長尺の連続映画のようなものである。すなわちその映画は、胎児自身の最古の祖先となっている、元始の単細胞式微生物の生活状態から始まっていて、引き続いてその主人公たる単細胞が、次第次第に人間の姿……すなわち胎児自身の姿にまで進化して来る間の想像も及ばぬ長い長い年月に亘る間に、悩まされて来た驚心、駭目すべき天変地妖、または自然淘汰、生存競争から受けて来た息も吐かれぬ災難、迫害、辛苦、艱難に関する体験を、胎児自身の直接、現在の主観として、さながらに描き現わして来るところの、一つの素晴しい、想像を超越した怪奇映画である。……その中には、既に化石となっている有史以前の怪動植物や、又は、そんな動植物を惨死、絶滅せしめた天変地異の、形容を絶する偉観、壮観が、そのままの実感を以て映写し出される事はいうまでもない

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Dogra Magra (24) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(24)

ポカン博士が演説をする時は、なんでもどこかの往来のはげしい、電車の交差点か何かで、繁華な人ゴミの中に立ちどまっているつもりらしい。交通巡査みたいに大手を拡げて、前後左右の群集を睨みまわす恰好をすると、イキナリ拳固を空中に舞わしながら、金切声をふり絞りはじめるのだ。
「……止まれッ……。
 ……止まれッ……。
電車も、自動車も、自転車も、オートバイも、バスも、トラックも、人力車も皆止まれッ……。紳士も、淑女も、モガも、モボも、サラリマンも職業婦人も、ブルもプロも、掏摸も、巡査も動いてはいけない。
……諸君はタッタ今、非常な危険と直面しているのだ。
……諸君は現在タッタ今、脳髄で物を考えつつ歩いているだろう。……その脳髄の判断力でもって交通巡査のゴー・ストップを聞き分け、旗振りの青と赤を見分け、飾窓の最新流行を批判し、ポスターに新人の出現を知り、夕刊記事の貼出しに話題を発見し、掏摸を警戒し、債権者を避け、イットの芳香を追跡しつつ……イヤが上にもその脳髄の感触を高潮させつつ、文化人のプライドをステップしている……つもりでいるだろう。……それが危険だと云うのだ。それが非常だと警告するのだ。……脳髄の非常時……。 ……見よ。聞け。驚け。呆れよ……

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Dogra Magra (23) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(23)

ところが、そのうちに、ソンナ発作がダンダンと高潮して来るとポカン博士は、やがて部屋のマン中の人造石の床の上に立止まって不思議そうにキョロキョロとそこいらを見廻わしはじめる。そうして自分の蓬々たる頭の毛の中から、何かしら眼に見えないものを掴み出して、床の上に力一パイ叩きつける真似をする。それからその床の上にタタキ付けたものを指して、脳髄に関する演説を滔々と、身振まじりにはじめるのであるが、そのうちに自分の演説に感激して、興奮の絶頂に達して来ると、ツイ今しがた自分の頭の中から掴み出して床の上にタタキ付けた眼に見えない或るものを、片足を揚げて一気にふみ潰す真似をすると同時に、ウーンと眼を眩わして床の上に引っくり返ってしまう。

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