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Petit research for Japanese novel (Munro’s King of Kings whisky)

『ドグラ・マグラ』の絵を描くためのプチリサーチ(2)

◆キング・オブ・キングス

「空前絶後の遺言書」の中で、正木博士がスクリーンに登場して演説する場面に「キング・オブ・キングス」というスコッチ・ウイスキーが出てくる。

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アハアハアハ。イヤ失敬失敬。わかったわかった……拍手は止してくれ給え。形容詞ばかり並べて済まなかった。どうもアルコールが欠乏して来ると、アタマの反射交感機能が遅鈍になるのでね。チョット失敬してキング・オブ・キングスの喇叭を吹してもらおう。
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せっかくの固有名詞なので、ぜひ絵の中に登場してもらおうと思い、1920年代のボトルを検索したけれどなかなか出てこない。キング・オブ・キングスは現在は生産されていませんが、1960年代〜1980年代のボトルはたくさん出てきます。古そうなボトルの写真が出てきても、年代のクレジットがないのがほとんどなので1920年代のものかどうか分からず。

そもそも、キング・オブ・キングスはスコットランドから輸入したウイスキーなのか。それとも国産でそのような名前のウイスキーが存在していたのか。

サントリーのホームページによると、初の国産ウイスキーは1929年(昭和4年)発売の「サントリー」で「白札」と呼ばれたそうです。正木博士がキング・オブ・キングスの喇叭を吹したのは、1926年(大正15年)なので、まだ国産ウイスキーは発売されていなかったことになります。正木博士はオーストリア、ドイツ、フランスに留学し、ハバナの葉巻を吹かしたりするなどハイカラ趣味なので、どちらにしても輸入ウイスキーを愛好しそうな気がする。

スコットランドのリースでJames Munro & Sonにより作られていたキング・オブ・キングス(Munro’s King of Kings)は、20世紀初頭にはアメリカに輸出されていたみたいです。日本に輸入され始めたのはいつか分からないけど、大正時代には既に入ってきていたのでしょう。

林芙美子の『放浪記』(1928年)にもキング・オブ・キングスが出てくる。

「キング・オブ・キングスを十杯飲んでごらん、十円のかけだ!」
どっかの呑気坊主が、厭に頭髪を光らせて、いれずみのような十円札を、卓子にのせた。
「何でもない事だわ。」私はあさましい姿を白々と電気の下に晒して、そのウイスキーを十杯けろりと呑み干してしまった。キンキラ坊主は呆然と私を見ていたけれども、負けおしみくさい笑いを浮べて、おうように消えてしまった。喜んだのはカフェーの主人ばかりだ。へえへえ、一杯一円のキング・オブを十杯もあの娘が呑んでくれたんですからね……

また、1927年開業の銀座のカフェー、クロネコのメニューにキング・オブ・キングスが載っている。
(写真は後日アップ)

文章では出てくるけれど写真が出てこないなーと諦めかけたとき、国立映画アーカイブのウェブページにこんなものが。

NFAJデジタル展示室
スチル写真で見る「失われた映画たち」- 小津安二郎監督篇
『エロ神の怨霊』(1930年)


Copyright© National Film Archive of Japan

なんと、キング・オブ・キングスのボトルを持っている!
1930年の映画なので、正木博士のラッパの4年後だけど、この際それは許容範囲ということで。

↑しかも印字が良く見えるように正面で持っていてくださる。1960年代以降のデザインと違う。一番大きな違いは、中央のマークが冠ではなく王様の横顔である、という点。

取っ手部分も見たいなと思ったら、違う写真に写っていた。


Copyright© National Film Archive of Japan

↑全体の形もこれでばっちり。ボトルの形状にはあまり変化が見られない。もしかしたら微妙に違うのかも知れないけれど、この写真では大体同じように見える。正木博士はこの取っ手をつかみ、ボトルから直飲みしたと思われる。

キング・オブ・キングスは高級酒ですが、夢野久作や林芙美子の小説、小津安二郎の映画に出てくるので、当時は今よりも知名度のあるウイスキーだったのでしょうか。

時代考証ができる写真が見つかって大変良かった。この映画のネガ・プリントは失われ、スチル写真だけが残っているそうです。戦前からスチル写真を保存してきたキネマ旬報社、そのような資料を公開している国立映画アーカイブ、ありがたい!

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Petit research for Japanese novel (newspapers in 1926)

『ドグラ・マグラ』の絵を描くためのプチリサーチ(1)

◆正木博士が居眠りをする場面で、若林博士と会う前に読んでいた新聞とは?

【場所】九州帝国大学精神病学教室本館階上、教授室
【日時】大正15年(1926)5月2日 午後3時頃

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正面の大卓子と、大暖炉との中間に在る、巨大な肘掛回転椅子に乗っかった正木博士は、白い診察服の右手の指に葉巻の消えたのを挟み、左には当日の新聞紙を掴みながら鼻眼鏡をかけたままコクリコクリと居睡りをしております。トント外国の漫画に出てまいります屁っぽこドクトルそのままで……読みさしの新聞の裏面に「花嫁殺し迷宮に入る」という標題が、初号三段抜きで掲げてありますところを特に大うつしにして御覧に入れておきます。そのうちに大暖炉の上の電気時計の針が、カチリと音を立てて三時三分を指しますと、大学のお仕着せを着た四十恰好の頭を分けた小使が、一葉の名刺を持って這入って来て、恭しく正木博士の前に捧げました。
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というわけで、まずインターネットで「大正時代 新聞 福岡」などと検索すると、国立国会図書館「リサーチ・ナビ」内の「明治・大正時代の主な新聞とその参考文献(西日本)」というページにたどり着いた。そこで九州の欄を見ていくと、大正15年の時点で福岡県で発行されていたメジャーな新聞は「九州日報」と「福岡日日新聞」の二紙っぽい。実際に紙面を見るために永田町にある国立国会図書館に行ってみた。

国立国会図書館は国会議事堂のすぐ近くにある巨大な図書館で、身分証明書があればその場で登録利用者カードを作ってくれる。個人への本の貸出はしていないので館内で閲覧しないといけないけど複写サービスがある。新聞資料室に行き、大正15年5月の「九州日報」と「福岡日日新聞」を申し込むと、貸出カウンターでフィルムのロールを渡されるので専用の機械で見る(古い新聞はマイクロ写真で保存されている)。

大正15年5月2日の各朝刊一面を、A3用紙に複写してもらったのがこれ↓
(この日は日曜だ。正木博士、若林博士、小使は日曜日に大学にいたのですね)

◎九州日報

◎福岡日日新聞

九州日報の紙面の方がなんとなく面白そう、というテキトーな理由で正木博士が読んでいたのは九州日報である、ということにする。夢野久作は九州日報で記者をしていたし。

では九州日報のどのページに『花嫁殺し迷宮に入る』の記事が載っていたか。一面は政治とか全国ニュース的な記事で、中面をみていくとP5に社会面的な記事が載っている。味噌汁にナントカ水を混ぜて親戚みなごろしを企つとか、子を伴れて姦夫と家出とか。

「花嫁殺し迷宮に入る」という標題が、「初号三段抜き」で掲げてあるということですが、コトバンクによると「初号」は「号数活字の中で最大のもの。42ポイントに相当」、「三段抜き」とは「新聞の紙面で大きなニュースを伝えるため、三段にわたる長さに組んだ見出し」だそうです。紙面右上の「福博全市歓楽に醉ふ」なんかは正に、初号三段抜きなのでは? 

あと、正木博士が読んでいたのは朝刊だと思い込んでいたけど、もしかすると夕刊かもという問題がありますが、それはまた後で。

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Dogra Magra (37) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(37)

……この事件は如何なる心理遺伝の爆発に依て生じたものか? その心理遺伝を故意に爆発させた者が居るか居ないか。又、居るとすればどこに居るか。そうしてこの事件に対する若林と吾輩の態度はこの事件の解決に対して、如何なる暗示を投げかけているか……という風にね。併し、よっぽど緊りと褌を締めてかからないと駄目だよ……なぞと脅かしておいて、その間に吾輩は悠々とスコッチを呷り、ハバナを燻そうという寸法だ……ハハン…………。

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Dogra Magra (36) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(36)

斯くして事件勃発以後に於ける二人の博士の最初の会見は、この大欠伸によって皮切られたのでありますが、続いて始まる二人の会話が、表面から見ますと何等の隔意もないように思われまするにも拘らず、その裏面には何かしら互いに痛烈な皮肉を含ませて、出来るだけ深刻に相手を脅威すべく火花を散らしている……らしい事にお気が付かれましたならば、この事件の裡面に横たわっている暗流が如何に大きく、且つ、深いものがあるかを御推察になるのに充分であろうと信じまする次第で……。

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Dogra Magra (35) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(35)

ところへ、青いメリンスの風呂敷を一個、大切そうに抱えた若林博士が、長大なフロック姿を音もなく運んで這入って来まして、正木博士と向い合った小さな回転椅子に腰をかけました。矮小な正木博士が、大きな椅子の中一パイにハダカッているのに対して、巨大な若林博士が、小さな椅子の中に恭しく畏かしこまっている光景は、いよいよ絶好の漫画材料で御座います。……と、やがて若林博士は例によって持病の咳に引っかかりまして、白いハンカチを口に当てたまま、ゴホンゴホンと苦しみ始めました。
 正木博士はその騒ぎでやっと眼を醒ましたものと見えまして、新聞と葉巻を空中にヤーッとさし上げて、眼の前の若林博士は勿論のこと、この室も、九州大学も、しまいには自分自身までも一呑みにしてしまいそうな、素敵もない大欠伸を一つしました。

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Dogra Magra (34) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(34)

……冷たい……物々しい、九大法医学部屍体解剖室の大理石盤の上に、又と再び見出されないであろう絶世の美少女の麻酔姿……地上の何者をも平伏さしてしまうであろう、その清らかな胸に波打つふくよかな呼吸……。
その呼吸の香に酔わされたかのように若林博士はヒョロヒョロと立直りました。そうして少女の呼吸に共鳴するような弱々しい喘ぎを、黒い肩の上で波打たせ初めたと思うと、上半身をソロソロと前に傾けつつ、力無くわななく指先で、その顔の黒い蔽いを額の上にマクリ上げました。
……おお……その表情の物凄さ……。
白熱光下に現われたその長大な顔面は、解剖台上の少女とは正反対に、死人のように疲れ弛んだまま青白い汗に濡れクタレております。その眼には極度の衰弱と、極度の興奮とが、熱病患者のソレの如く血走り輝やいております。その唇には普通人に見る事の出来ない緋色が、病的に干乾び付いております。そうした表情が黒い髪毛を額に粘り付かせたまま、コメカミをヒクヒクと波打たせつつ、黒装束の中から見下している……。
彼はこうして暫くの間、動きませんでした。何を考えているのか……何をしようとしているのか解らないまま……。

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Dogra Magra (33) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(33)

大正十五年四月二十七日夜の、九大法医学部、解剖室には、かくして二個の少女の肉体が並べられた事になります。美しく蘇りかけている少女と、醜くく強直している少女と……中にも解剖台上に紅友禅を引きはえました少女の肉体は、ほんの暫くの間に著しく血色を回復しておりまして、麻酔をかけられたままに細々と呼吸しはじめている、そのふくよかな胸の高低が見える位になっております。その異常な平和さ、なまめかしさ……
(中略)
そのうちに脈を取っていた少女の手を投げ出して、時計をポケットに納めました若林博士は、その少女の身体をそっと抱え上げて、部屋の隅に横たえてある寝棺の蓋の上に寝かしました。そうしてその代りに四一四号の少女の強直屍体を解剖台の上に抱え上げて、凹字型の古びた木枕を頭部に当てがいますと、大きな銀色の鋏を取上げて、全身を巻立てている繃帯をブツブツと截り開く片端から、取除いて行きましたが……

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Dogra Magra (31) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(31)

そうした解剖台と、湯沸器と、白い寝棺と、三通りの異様な物体の光りの反射を、四方八方から取り巻く試験管、レトルト、ビーカー、フラスコ、大瓶、小瓶、刃物等のおびただしい陰影の行列……その間に散在する金色、銀色、白、黒の機械、器具のとりどりさまざまの恰好や身構え……床の上から机の端、棚の上まで犇めき並んでいる紫、茶、乳白、無色の硝子鉢、または暗褐色の陶器の壺。その中に盛られている人肉の灰色、骨のコバルト色、血のセピア色……それらのすべてが放つ眩しい……冷たい……刺すような、斬るような、抉るような光芒と、その異形な投影の交響楽が作る、身に滲みわたるような静寂さ……。
しかも……見よ……その光景の中心に近く、白絹に包まれた寝棺と、白大理石の解剖台の間から、スックリと突立ち上った真黒な怪人物の姿……頭も、顔も、胴体も悉く、灰黒色の護謨布で包んで、手にはやはり護謨と、絹の二重の黒手袋を、また、両脚にも寒海の漁夫がはくような巨大なゴムの長靴を穿っておりますが、その中に、ただ眼の処だけが黄色く縁取られた、透明なセルロイドになっております姿は、さながらに死人の心臓を取って喰うという魔性の者のような物々しさ……または籔の中に潜んでいる黒蝶の仔虫を何万倍かに拡大したような無気味さ……のみならず、あんなに高いところにある電球のスイッチを、楽々と手を伸してねじって行った、その素晴しい背丈の高さ……。こう申しましたならば諸君はお察しになりましたでしょう。この怪人物こそは、かの有名な「血液に依る親子の鑑別法」の世界最初の発見者であると同時に、現在『精神科学応用の犯罪と、その証跡』と題しまする、空前の名著を起草しつつある現代法医学界の第一人者、若林鏡太郎氏その人であります。

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Dogra Magra (32) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(32)

右手に見えております混凝土の暗い階段は、この部屋が地下室であることを示しておりますので、正面に並んだ白ペンキ塗の十数個の大きな抽斗は、皆、屍体の容器なのでございます。すなわちこの部屋は、九大医学部長の責任管理の下にある屍体冷蔵室で、真夏の日中といえども、肌膚が粟立つばかりの低温を保っているのでありますが、ことにただ今は深夜のこととて、その気味の悪い静けさは、死人の呼吸も聞えるかと疑われるくらい……。

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Dogra Magra (30) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(30)

……エエ……これが天下に有名な九州帝国大学、医学部、精神病科教授、医学博士、正木敬之氏でございます。背景は九州帝国大学、精神病科本館、講堂のボールドで、白い診察服を着ておりますのは、平生の講義姿をそのままにあらわしたものでございます。
(中略)
……もったいなくもK・C・MASARKEY会社の超々特作と題しまして『狂人の解放治療』という、もちろん今回が封切の天然色、浮出し、発声映画とございまして、出演俳優は皆、関係者本人の実演に係る実物応用ばかり……
(中略)
実母と許嫁と、二人の婦人を絞殺した怪事件の嫌疑者、呉一郎(明治四十年十一月二十日生)大正十五年十月十九日、九州帝国大学、精神病科教室附属、狂人解放治療場に於て撮影―

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Dogra Magra (29) (a novel by Kyusaku Yumeno in 1935)

『ドグラ・マグラ』夢野久作(29)

これが正木博士のいわゆる「脳髄論」から割出された「胎児の夢」の続きである「心理遺伝」の原則に支配されて動いている狂人たちであります。……しかも、これから三時間後……大正十五年十月十九日の正午となりまして、海向うのお台場から、轟然たる一発の午砲が響き渡りますと、それを合図にこの十人の狂人たちの中から、思いもかけぬスバラシイ心理遺伝の大惨劇が爆発致しまして、天下の耳目を衝動させると同時に、正木先生を自殺の決心にまでおい詰める事に相成るのでありますが、その大惨劇の前兆とも申すべき現象は、すでにただ今から、この解放治療場内にアリアリと顕われているので御座いますから、よくお眼を止められまして、狂人たちの一挙一動を精細に御観察あらんことを希望いたします。

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Un Regard Moderne and William Burroughs

パリにある本屋さん、Un Regard Moderneで開催されている『おっぱいから流れるセーヌ川の水』展に参加しています。

この本屋さんの前でウィリアム・バロウズが『裸のランチ』を書いたそうで、展覧会のタイトルもそこから来ています。

Exposition Grosse Victime Magazine
“De l’eau de la Seine dans les tétons”
January 10 – February 10, 2024
Un Regard Moderne
10 Rue Gît-le-Cœur, 75006 Paris

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Red bean paste and Howland island

今日は小豆を煮ながら、『奇妙な孤島の物語:私が行ったことのない、生涯行くこともないだろう50の島』(ユーディット・シャランスキー/著)を読んでいた。あんこと孤島。聞いたこともない島の名前が目次に並ぶなか、特にハウランド島のページを熱心に見た。太平洋に浮かぶ無人島、小豆みたいに小さいハウランド島。1937年7月2日の朝、この島を目指してニューギニア島を飛び立ったけれど、到着することのなかったアメリア・イアハート。

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Underground vaults in Edinburgh

10年くらい前にスコットランドのエディンバラを訪れたとき、Mercat Toursが主催する地下の穴倉ツアー(Blair Street Underground Vaults)に参加した。これはどういうツアーかというと、18世紀末に出来たサウス・ブリッジという道路兼橋の地下にあるたくさんの穴蔵を、案内人と一緒に歩いて見学するものです。その穴蔵は、時代により倉庫や工房、ワイン(クラレット)セラーや酒場として使われ、徐々に密造酒造りや墓泥棒が一時的に死体を隠すような犯罪の巣窟となり、19世紀にはスラムの中でも最下層の人々が住み着くようになったという。第二次世界大戦中には防空壕としても使われたが、瓦礫に埋もれたりして長い間忘れ去られ、商売にしようと思った人達が入口を発見して中を整備し始めた1980年代に再び日の目を見る。
私が参加したのは10人位のツアーで、夜の8時頃になんとかいう広場に一度集まってから路地にある小さな入口より階段で地下に降りた。大学生のような若い男性の案内人が、俳優を目指しているのかなというぐらい熱の入った演技とともに説明してくれた(墓泥棒がスコップで墓を掘り続ける演技とか)。穴蔵が続く狭い通路は、最小限のオレンジ色の照明で薄暗く、200年以上の陽気とは言えない歴史の重みがそこら中の石壁に染み付いているようで、ここに一人で取り残されたら…と想像すると怖い。酒場だった時はよく牡蠣を供していたそうで、牡蠣の殻などが見つかるという。現代でもここでパブとかやったら結構ムーディーで人気が出そうな感じもするが、私としては行きたいような行きたくないような。ここの雰囲気があまりにリアルなので。穴倉から出土した遺物をみせてくれる部屋もあり、その中に19世紀のランプ用の魚油があった。当時のままのガラス瓶に入っており案内人がフタを開けて匂いを嗅がせてくれて、ものすごく酸化した匂いがした。魚油ランプは煙や匂いがひどく、さらに換気の悪い穴蔵で使われて健康にも良くなかったという。他に覚えているのは、年代不詳のピストルの形をしたガラスのおもちゃなど。ここに住んでいた19世紀の一家の子どもの持ち物だったのか、20世紀の防空壕時代の子どもなのか。ホテルへの帰り道、夜の石畳を歩きながら、亡霊が地下からついてきていないかしばらく不安だった(歴史好きな人やダークで変わった趣が好きな人にはおすすめのツアーです。オフィシャルガイドブックが充実した内容なので、チケットと一緒に買うとさらに面白い)。

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Gobi Desert, Taklamakan Desert and Sven Hedin’s boots

黄砂の時期になると、はるばるゴビ砂漠やタクラマカン砂漠から日本まで砂が飛んでくるなんてすごいなと思ったりする。「ゴビ砂漠」「タクラマカン砂漠」という響きがとてもエキゾチックで、シルクロードとか昔の探検家などを思い起こす。子どもの頃に『スウェン・ヘディンと桜蘭王国展』というのに行った。一番覚えている展示物が、スウェン・ヘディンの長靴。タクラマカン砂漠を横断している途中で水が尽き、ラクダの尿を長靴で飲んだとか、生きられるぎりぎりのところでついに水たまりをみつけ、またもや長靴で水を飲んだなど、過酷な旅で生死をともにし、コップがわりにもなったボロボロの茶色の革の長靴。

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Lights in the dark land

夜に出発の飛行機で東京からヨーロッパ方面に行った時、時差に向かって飛んでいるのでずーっと夜だった。夜に向かって飛んで、いつまでも夜だった。窓の下はモンゴルや中央アジアの暗闇で、時たま二、三個の丸い灯りが見えることがあった。見える度に、前の座席のスクリーンにリアルタイムで写しだされる飛行ルートを確認して、どこの上空を飛んでいるのか知ろうとした。私は飛行機の席は必ず窓際を取り、外の景色に貼り付いていることが多いので、灯りが見える度に、あそこに人が住んでいるのかな、周りはこんなに暗くて何もなさそうだけど何をしている人達なんだろう、私はあの人たちの灯りをいま見ているけど向こうはこちらの飛行機の灯りを見ているんだろうか、などと想像していた。深い闇の中に浮かぶ小さな灯りに、ささやかな人の営みの気配と親近感を抱いた。

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Mongolian night sky crossed by artificial satellites

モンゴルの遊牧民を訪れた日本人の紀行文が、中学校の国語の教科書に載っていた。著者の名前を思い出せないけれど、大草原の星空に圧倒された、空を横切る人工衛星まで肉眼で見ることが出来た、という内容の文章があった。あまりに澄んでいるので、人工衛星の通過音まで聞こえてきそうだ、とたしか書いてあってものすごく印象に残った。どういう音か分からないけど、なんとなく、とてもささやかな機械音というか、金属音のようなのがカタカタ聞こえてきそうな感じがした。実際、人工衛星がそういう音を立てるのか不明だけど。それほど空気が澄んでいて、どこよりも暗い夜空に、カタカタ音をたてながらスーと動いて行く人工衛星というのが、とても詩的でロマンチックだと思った。

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