『ドグラ・マグラ』夢野久作(60)

―思いますればもう二た昔……イヤ……もう三十年ほどにもなりましょうか。まことに古い事で御座います。もはや御承知か存じませぬが彼の千世子という御婦人は、幼ない時から何事に依らず怜悧発明な上に、手先の仕事に冴えたお方で、中にも絵を描く事と、刺繍をする事が取分けてお上手だったそうで、まだお合羽さんに振袖のイタイケ盛りの頃から、この寺の本堂の片隅なぞにタッタ一人でチョコナンと座って、襖に描いてある四季の花模様や、欄間の天人の彫刻なぞを写して御座る姿を、よく見受けたもので御座います。その頃からもうそれはそれは可愛らしい、人形のような眼鼻立ちで御座いましてナ……。